物欲の抑え方

昔よりも物欲を抑えられるようになった。昔は「我慢」だったけど、今は「諦め」に近い。私が物欲を抑える時の屁理屈まじりの理由あれこれ。

スニーカー
魅力的なデザインのレアなスニーカーはたしかに多い。でも、街でそういうレアスニーカーを履いている人を見かけても、その人自身を魅力的に感じたことは一度もない。テレビでもたくさんのレアスニーカーをコレクションをしている芸人さんと見かけるけど、その芸人さんをカッコいいとか素敵だと思ったことは一度もない。つまり、もし自分がレアなスニーカーを履いても、スニーカーは見てもらえても自分自身の魅力は上がらない。
あるいは、周囲の目ではなく、自己満足のためにスニーカーを収集するかもしれない。マイケル・ジョーダンに憧れているからエアジョーダンをコレクションするみたいな感情。でももう一歩大きな視座から、もしジョーダンに憧れているなら、彼の履いたスニーカーばかりに着目するのではなく、彼の負けず嫌いなメンタリティを倣ってみたり、黒豹のような肉体に憧れて体を鍛えたりしてもいいのではないかと考えるようにした。
あとは単純に保管が面倒。スニーカーは履かなくても加水分解して劣化するし、保管しておく場所も必要になってくる。
こうしてスニーカーへの物欲を抑えることができた。

ファッション
数年前まで、有名ブランドの一着10万円以上するジャケットや数万円するシャツやパンツをシーズンごとに買っていた。なじみの店員さんもチヤホヤしてくれて気持ち良い。でも買った後はどの服も思ったほど着ることはなく、数年後に古着買取に出すが買取価格は数千円から2万円以下ぐらい。なんだかとても無意味な浪費を繰り返していたなという罪悪感を感じていた。
コロナ禍になり、外出する機会が減って洋服を披露する場も回数も減った。マスクも付けているので自分をアピールする雰囲気にもならない。
また、ブランド品を身につけることで本当に着用者の魅力が上がるのかにも疑問がある。少し前に声優さんがブランドものを身につけて炎上していたのはほっといたれよと思ったけれど、そんな自分も、お気に入りのAV女優がデビュー後だんだんケバくなって、素人宅訪問企画でブランドもののバッグを持っているのを目にした時はなんだかなぁという気持ちになった。上で書いたスニーカーと同様、身につけたシャネルやヴィトンのロゴを説き伏せるぐらいに本人に魅力がある日本人なんて思いつかない。
こうしてファッションへの物欲を抑えることができた。

Apple製品
多くの人がiPhoneを持っているので、もう羨望のアイテムではなくなった。処理性能は向上しているけれど、高負荷な機能をそれほど使わないので自分にはすでにオーバースペック。逆に順当に目は悪くなっているので、むしろ今後スマホとは距離をとりたい。
Macbookに関しても同じ。YouTuberがレビューしているのを見るだけで充分満足できるようになった。毎年毎年パワーアップするし格好良くなるけど、そこまで大差のないバージョンアップのサイクルに付き合う必要もない。なにせ今無職なので高いマシンスペックが必要ないから。
こうしてApple製品への物欲を抑えることができた。


本を買うと置き場に困るし、kindleは気分が乗らない。読みたい本は図書館で予約すれば新刊だろうが人気作だろうがいつかは必ず読める。それで充分だった。
こうして本への物欲を抑えることができた。

ごちそう
国内外の有名レストランの料理を結構食べてきたと思う。レストランの空間はオシャレで雰囲気いいし、料理も珍しかったり美味しかったり、店の人との会話も楽しかった。でも今、当時撮影した料理の写真を見返すことは一度もないし、死ぬ前にもう一度食べたいと思うほどに正確には料理を覚えてもいない。「◯◯のレストランで◯◯を食べましたよ〜」と他のレストランの人との会話での自慢ネタとしては役立ったけども、それらの美味しいけれど食材費が高そうで調理方法も難しそうな料理を作ろうとは思わない。それに比べて、YouTubeの「リュウジのバズレシピ」を参考に自炊すれば一食300円以下で美味しい料理が作れるし、身の丈に合ったレベルで料理や調理のこともだんだん理解できるようになってきて楽しい。
あるいは、ごちそうの楽しさとは、誰かと一緒に料理を食べることなのかもしれない。でも今、というか、そういう時期はとうに終えてしまった今の自分には、家で一人で好きな料理を自炊することが一番楽しい食事になっている。
こうしてごちそうへの欲を抑えることができた。

ガンプラ
今でもときどき作りたくなる。昔からガンプラを作っている時は楽しいのだけど、作り終わったら興味がなくなっていつの間にか処分している。ガンプラを作るための知識は相当頭に入っている。合わせ目消しや超音波洗浄、サーフェイサーやエアブラシ、スジ彫りや墨入れ。でもそれらの理想としている作業を実際の自分はやりとげられた試しがないので、自分にとってのガンプラ制作は不毛な行為なんだなと諦めることができるようになった。YouTubeではそれらを完璧にこなす達人たちの作業と作品を無料で見ることができて、なんだかそれで満足できてしまう。
あと、ガンプラはプラスチック製品で大量のランナーを捨てることにもなるので、SDGs観点からも諦める言い訳ができる。
こうしてガンプラへの物欲を抑えることができた。

一生モノと言われるあれこれ
ヴィンテージの大戦モデルよりもユニクロジーンズの方が綺麗で好きという人の方が多数派だったりする。一生履けると言われて買ったレッドウイングのブーツは岩場で革がボロボロになって捨てた。ロレックスは重いし汗かくしそんなに着用しない割に、5年に一回はオーバーホールで10万円近くかかる。車はいつのまにか傷ついていてだんだん愛着がなくなる。高価なボールペンは引っ越ししたらなくなってた。「一生モノ」ともてはやされているアイテムも、持ち続けていると確実に飽きてくるし、維持管理もコストになる。
いつかは息子に譲ってやろうというロマンで持ち続けるモノがあるかもしれないけど、もし自分が親から何か譲り受けたとして、親が長年大事に維持管理し続けてきた手間に見合うだけの感謝の気持ちを親に向けられるか想像すると、実のところそれほどには感謝できそうにない。
こうして一生モノへの物欲を抑えることができた。

こうやっていろいろ諦める理屈を捻り出せるようになったけれど、何より自分自身に対して諦めてしまっているのが一番救いようがないけれど、まぁそれが核心だわ。